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α-ケンタウリ星通信

α-ケンタウリ星からお送りしています。

『競売ナンバー49の叫び』(トマス・ピンチョン)

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 すさまじい小説だった。これを読んだのは少し前のことで、話の内容に関する記憶はやや薄れかけているのだけど、それでも読んでいるとき、読み終わったときの「なんなんだこれは」という強い印象はまだ残っている。

 

 ある日若妻(なんかエロい!)のエディパ・マースは、昔の恋人だった大富豪が死んだこと、その莫大な遺産を託されたことを知り、何かに導かれるようにして調査に乗り出す……という話。この小説のすごいところは、そして前述の「なんなんだこれは」と思わせる要因は、これでもかと登場してくるたくさんの意味深な暗喩たちだ。それは元役者の弁護士であったり、エディパが赴くあらゆるところに現れる謎に満ちた文字列や、ラッパの記号、悲惨な物語の演劇、そして”トリステロ”だったりする。これらは元恋人の正体について何かしらの意味を指し示しているようでいてとてももっともらしいのだが、肝心の意味するところはわからず、次々にエディパと読者を翻弄する。

 最終的には、それらの謎は解明されることなく、謎のまま放置されるのだが、これは単に著者が回収しきれなくなったということではないだろう。解説なども参照するに、これは排中律の問題だといえる。あるものにAという意味がある/ないという、二つの状態の存在しか認めないアメリカ合衆国的な考え方に、ピンチョンは疑問を投げかけているのかもしれない、ということだ。確かにアメリカ社会の裏を描いていると言われると納得できる。しかし、惜しむらくは(?)僕ら日本人には身近な話題ではないため、頭では納得できても、ピンときづらいということだ(もちろんそれによって本書が楽しめないわけではない)。

 また、ピンチョンの膨大な知識量にも驚かされる。「知のごった煮」というとメルヴィルの『白鯨』が想起されるが、あれは鯨に関するものがほとんどだった。だが、ピンチョンの小説には、物理学からいわゆるオタク・カルチャーまで、様々な知識が入り乱れている、真の「ごった煮」だ。僕個人こういう作風はすごい好みで、彼の小説をもっと読もうと思う。余談だが、最近ノーベル文学賞が発表されましたね。トマス・ピンチョンもよく候補になっていると聞くけどけど、アメリカの何とか賞を拒否し、取材に押し掛ける報道陣を嫌がりバスに飛び乗って山に逃げたという逸話(真偽のほどは定かでない)のある彼は、きっと拒否してしまうような気もしますね。

 

 最後になりますが、お久しぶりです。また一か月以上空いてしまった。少し思うところがあって、全記事の題名を変えました(そのときごちゃごちゃしてしまって順番が今までと変わってしまいました)。今までは(キャッチコピーもどき)―『書名』だったけど(わかる人にはわかると思うが、冬木糸一氏の「基本読書」の真似です)、めんどくさくなったので今後から『書名』(著者名)にします。よろしく。