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α-ケンタウリ星通信

α-ケンタウリ星からお送りしています。

『文学会議』(セサル・アイラ)

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  ラテンアメリカの小説家は、どうやらヤバイのが多いらしい。例えば、ボルヘス……くらいしか今のところ思いつかないのだが、これだけでも十分にヤバイだろう。それに加えてこのセサル・アイラである。

 『文学会議』は、同名の中編と『試練』という中編を収めているのだが、そのたった二つで、僕にとっての彼(はじめ彼か彼女かすらわからなかったのだが)の評価が「ヤバイ」となるには十分であった。

 

 さて、『文学会議』である。小説家でマッドサイエンティストで世界征服を企み冒頭でトンでもない財宝を見つけた「私」(そしてどうやらこの「私」は本当に「私」=セサル・アイラらしい、この時点でだいぶお腹いっぱいだ)が、世界征服のため完璧な人物のクローンを作ろうと試みて…という話なのだが、セサル・アイラの特徴である、無駄とも思える冗長な表現の嵐に、これをあらすじとしていいか少しわからない。「私」は完璧な人物としてカルロス・フエンテス(実在するこれまたラテンアメリカの小説家)を選び、彼のDNA採取のため文学会議に向かう。が、当然のごとく文学会議の様子は描かれない(そもそも「私」は行っていない)と、タイトルの意味をなきものにしようとするのはもはや清々しくも感じる。途中DNA採取に用いた虫への愛着脈々と何行にも渡って書いたり、結局採取したのはカルロス・フエンテスの絹のネクタイの細胞で、クローンを作成したら超巨大イモムシが出現!さあ大変街は大混乱に!という展開(怪獣映画…?)は、果たして笑わせにきてるのかよくわからなかったので、とりあえず笑っておいた。

 そんなこんなでカタストロフにスペクタクルがややこしく続き、なんやかんやで「私」は世界を救う。会議は一切出てこなかったが、怪奇な文学で、さらに文学というのを懐疑してしまう。

 

 「ねえ、やらない?」と、太った少女であるらしい「私」が二人のパンク少女に誘われる場面で始まる『試練』は、なにやら百合百合しい雰囲気かと思いきや、これまたぶっ飛んでいる。太少女(ひどい名前だがこれしか思いつかないので許してほしい)とパンク少女たちは場所を変え問答を始める。戸惑いながらもパンク少女のことを理解しようとする太少女、それにいら立つパンク少女。太少女の努めて理性的であろうとするところ、それが彼女らのお気に召さず、彼女らは理性からの解放を重視する。

 なるほど確かに理性的でありすぎると視野が狭くなるというのはあるかもしれない、などと少女たちの掛け合いを楽しんでいると、唐突に彼女たちはスーパーマーケットを襲撃し始めて僕は数十ページくらい読み飛ばしたかなと思ってしまった。そして炎に包まれるスーパーマーケット……三人の少女たちは夜の闇へと消えていく……。これはいったいどういう了見なのだろうか。スーパーマーケットを襲撃するにいたった過程がまるで理解不能。もしかするとスーパーマーケットは理性のメタファーで、先の掛け合いから理性から解放された少女を描いているのかとも考えたが、そもそもスーパーマーケットが理性とどう結びつくのかという問題がある。理性を売るスーパーマーケットなど僕は見たことがないし、文字が似たものでせいぜいパセリくらいしか売っていないだろう。

 訳者あとがきにある、「ねえ、やらない?」を表すスペイン語に関しての話はなかなかおもしろかった。大学でスペイン語をとった僕に、よりスペイン語を勉強する気にさせるまでには至らなかったが。

 

 よくわからない小説に感化されたせいかよくわからない感想になってしまった。セサル・アイラ、非常にぶっ飛んでて謎めいた気になる小説家である。