α-ケンタウリ星通信

α-ケンタウリ星からお送りしています。

爆発させる男

 スマートフォンが爆発した。朝の六時にピピピなんて馬鹿げた音を鳴らすのだから当然だ。もちろん、目覚ましとしてアラームを設定したのはおれ自身だが。

 布団をはねのけ、上体を起こす。頭はそのまま先行する布団を追い、顔が埋まる。

 布団と接触していない背中側の寒さに耐えきれなくなったところで離脱し、洗面所へと向かう。

 顔を洗おうと蛇口をひねり、流れる水に両手をのばす。しかし勢い余って蛇口の真下に位置する楕円形の穴に指が入る。極めて不愉快だ。この穴が何のために存在しているのか皆目見当がつかないが、およそこの世のものとは思えぬ汚物が潜んでいるとしか考えられなくなってくる。洗面台は爆発した。

 適当に衣服を掴み着替える。さて、今日もあそこへと向かわなければならない。

 おれはここ何年も、いやひょっとすると何十年もあそこへと向かっている。そこがどこで、何の目的で行っているのかはもはや覚えていない。だがとりあえず行かねばならないのだ。

 自室を出、自室を内包する集合住宅を出て駅を目指し歩く。おれは普段、あそこへと向かう移動手段として電車を用いているのだ。

 駅はおれの住む部屋を内包する集合住宅から近くだったので、歩いてすぐだ。交通系 IC カードを取り出しながら改札に向かう。

 改札口では夥しい数の人間が出たり入ったりを繰り返しており、非常に目障りだ。すると改札が爆発し、ついでに持っていた交通系 IC カードも爆発した。人的被害はないようだ。

 電車が使えなくなったが、なんとかしてあそこへと向かう必要がある。確か駅のほど近くにバス停があったはずだ。目的地のあそこは駅には近いが、最寄のバス停まではしばらく歩かねばならない。したがってやや面倒ではあるが、致し方ない。

 バス停へと向かうと、おれと同じ考えを起こした人間たちがわらわらとバス停に群がっており目障りだったが、まだ耐えられるレベルだった。

 バスに乗り込む。先に料金を支払うシステムだったので財布を開き小銭を取り出そうとするも、なぜか大量にある一円玉や五円玉に攪乱され、目的とする百円玉と十円玉をうまく取り出せず腹立たしくなる。貨幣はすべて爆発した。

 もうどうしようもない。かなり時間はかかるが、自転車を使う他ない。おれは何としてでも絶対にあそこへと赴かねばならないのだ。

 バス停をそそくさと離れ、おれの住む部屋を内包する集合住宅に戻る。集合住宅の正面に設置されている、住人が自転車を駐めることのできるスペースに向かう。おれは長らく使っていない自分の自転車のハンドルを掴み動かそうとしたところで自転車の鍵が自室に置いてあることを思い出し、少し苛立つも耐える。そして自転車の鍵を取りに自室へ戻ろうと振り返った瞬間、隣の自転車に腕がぶつかり、自転車が倒れ、その先にはまたひとつの隣の自転車があり、それも倒れ、この一連のプロセスが十回ほど行われたところでようやく静けさが訪れた。自転車はすべて爆発した。

 そこでおれは何もかもを諦めた。あそこなんかもうどうでもいい。もう全部やめた。もう帰る。

 おれは自室に戻り、まずはきちんと手を洗う。洗面台は粉々だが、蛇口は無事だった。家に帰ってまず手を洗うなどとてもお行儀の良いことと思われるかもしれないが、今でこそこんな暮らしでもおれは育ちは良い方なのだ。

 とそこで尿意を催す。最悪だ。今から小便をすれば再び手を洗わなければすまなくなり、するとおれは無駄に手を洗ったわけだ。本当に腹が立った。おれはトイレに入り用を足し、流して出る。当然トイレは爆発した。

 しかし苛立ちは収まらない。今度はトイレなんてものに本気で腹を立てたくだらぬ自分自身に腹が立ってきたのだ。おれの部屋にある様々なものが爆発し始める。洗濯機が冷蔵庫が電子レンジがシンクが食器が小卓がラップトップが爆発し、そこで少し溜飲が下がる。

 狭い部屋に爆風が吹きすさぶなか、おれは布団に潜り込み、枕元に置き放していた読みかけの本を開く。確か 269 ページだっただろうか。

玉棒奇譚

 寒いときにゃあ、パチンコ打つべし打つべし。

 そんなジグムント・フロイトの著作の有名な一節を聞いたことがあるな、と男は想起していたが、しかし彼はジグムント・フロイトの著作をひとつも読んだことはなかったのであった。

 

 諸君はパチンコというものをご存知だろうか。

 何も難しい話ではない。何事もままならぬこの浮世にはパチンコ屋と呼ばれる素敵な空間があり、そこへ行くとなんとお金がもらえるという、至極単純明快な構造である。ときどきのことではあるが、逆にお金が取られてしまうこともある。でも大丈夫。辛抱強くパチンコ屋へと足を運び続けるといつかはお金がもらえるのだ。

 

 そう、男の話であった。

 ここに一人の男があり、パチンコ屋へと向かう。

 男はあるときふと思い立ち、外に出たのである。男は普段から外に出ることを忌避し、憎悪の念すら抱くほどであった。なるべくなら中の方がよかったのである。されどもこのときばかりは違っていた。気分の問題である。

 ところがそうして外へと出たところ、そこは北極、いや宇宙の果て(宇宙背景輻射、3 K)もかくやというほどの極寒であった。寒い。本当に寒いのである。そこで先のフロイトの言葉である。打つべし打つべし。

 

 さてそんな男のパチンコ屋へと向かう道中について特筆すべきことは何一つとてないので割愛。無事に馴染みのパチンコ屋のある駅前の通りに到着したのであるが、そこで男は立ち止まることを余儀なくされる。なんと向かった先にパチンコ屋はなく、ただのがらんどうが佇立しているという有様だったのだ。

「ふむ」

 男は独り言ちて腕を組む。

 果たしてあのパチンコ屋に何があったのかは知らないが、喪失とは何故こうも唐突に感ぜられるのであろうか。それは無論、廃業日まで営業を続けつつも徐々に解体されていくパチンコ屋など無いのであるが、いやそれにしてもしかし――。男は何やら感じ入る様子であった。

「どうしたものか」

 ぼやきながら途方に暮れつつなんとなしに周囲を見渡すと、ぱたぱたと遠慮がちにはためく幟を見つける。

 

新装開店!

新台入替!

 

 斜向かいにあたる場所に構えている店であった。それはまるで、空間そのものに溶け込んでいるとでも言ったものか、視界に入っても店と認識できぬほど地味な雰囲気を醸し出していた。店の入り口上部には「チンコ」という電飾看板がかかっている。

 ははあ。さては、と男は考えた。

 諸君は見たことがあるだろうか。パチンコ店の入り口に掲げられた看板「パチンコ」の「パ」だけが何らかの原因により取れ、「チンコ」となってしまっているのを。

 チンコ。諸君はきっと長年、様々な形でこの三文字の示すモノと触れ合ってきただろうから説明は無用であろう。

 さて、一般にチンコと聞けば人は笑ってしまうものだとされている。チンコあるなら笑顔あり、笑う門には福来る、さればチンコは福の神。ある地方ではそのような唄の伝承があり、チンコを土地神として讃えているとする文書が存在するという話があるそうである。

 

 男の話であった。

 男はしかしチンコで笑ってしまうような一般人とは異なり、看板「チンコ」を見ても笑いはしなかった。チンコには慣れていたからである。

 そして男はパチンコをしたいのであった。であればチンコだろうが何だろうが入るしかあるまい。新装開店だか何だかしたらしいしちょうどいい。幟を出しているだけで、実際は最近新装開店したのか年中無休で新装開店しているんだかわからんうえ、新装開店したばかりの店だからといって当たりやすいわけではないけれど。男はそれくらいの分別は持ち合わせていた。

「ま、あんま期待せずに行こうや」

 そして男は入店したのであった。

 

「いらっしゃいませ! スーパーチンコB&S X駅前通店へようこそ!」

 ドアを開けると店員の威勢の良い声が飛んできた。と同時に、おそらくその声の主であろう店員がこちらへと駆け寄ってきたのである。

 なんと、と男は思った。パチンコ屋にしては何やら大仰である。それともあれであろうか、このような「心のこもった接客サービス」を売りにしている珍しいタイプの店なのであろうか。

 男はそのようなものは好まなかった。人と人との出会い、かけがえのないこのつながり。男はその類に心底嫌気がさしているのであった。パチンコとは孤独な営みであり、そして男にとってすべては孤独な営みであった。

「お客様、当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか?」

 先の店員が満面の笑みを顔を貼り付け(そう、それは「貼り付け」と表現するのが最も適切であろうと思われるような、何やらいやらしいところのある笑顔であった)、男に訊いた。

「ええ、そうですが」

「ありがとうございます。私どもスーパーチンコB&Sグループは完全会員制となっているのですが、お客様はどなたか会員様のご紹介でしょうか?」

「いいえ、違いますが」

「承知いたしました。その場合はですね、誠に申し訳ないのですが、当店をご利用することはできません」

「ああ、なるほど」

「スーパーチンコB&Sグループの規約でそうなっておりまして、申し訳ございません」

 男は困惑していた。パチンコ店で会員制など聞いたこともない。ないのであるが、それ以上に何やら違和感があるのだ。はて……。

「つかぬことをお伺いいたしますが」と男は店員に尋ねた。「その、先ほど何とおっしゃられましたか?」

「はあ」と店員はきょとんとした顔で、「当店では会員制を設けておりまして……」

「当店、とは?」

「スーパーチンコB&S X駅前通店ですが」

「そこです!」

 男は思わず声を荒げていた。店に入ってからずっと気のせいだと思っていたが、どうやら違うようだ。

「ひとつお聞きいたします」と男は言う。「ここはパチンコ店ではないのですか? その、何と言いましたかスーパーチンコ云々というのはいったい何なのです?」

「あ、お客様なるほどお客様」と店員。「もしやパチンコ店と勘違いされていらっしゃいましたか? いやあ、そうでしたかそうでしたか。確かにわかりにくくはありましてね、表の看板のせいだとは思うのですが、間違ってご来店されるお客様も時折いらっしゃるのでございます」

「そういうことではないのです!」と男。「いったいぜんたい、何だというのです! そのスーパー某というのは!」

「スーパーチンコB&Sにございます、お客様。まあ要は、しがない一介のチンコ店であります」

「チンコ店! もうわけがわからないぞ!」

 男は絶望の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちた。

「もしやお客様、チンコ店をご存知ない?」

「知っているわけがありましょうか! スーパーなどと付いているから、『パチンコ』の『パ』を省略しているのだろうかなどど勘ぐってしまいましたよ」

「いえいえ、スーパーに特に意味はございません」

「意味はない! なんて不誠実な態度だろう!」

 男は口角から泡を吹きださんばかりであったが、そこで理性を取り戻したのか一度大きく深呼吸をし、続ける。

「ではその後の、あれは何なんです? S&Bでしたか」

「B&Sにございます、お客様。Ball and Stick でございます」

「ボオォゥルアンドスティックゥ? それはもうチンコに他ならないではありませぬか!」

 そこへ店員は少し顔をしかめてみせ、「失礼お客様、チンコではなくチンコにございます」

「何が違うというのです」

「ですから、音をよく聞いていただきたい。男性器を示す『チンコ』ではありません。『パチンコ』から『パ』をとった『チンコ』なのであります。最後の『コ』でひとつ下げるのでございます」

「そもそも!」と男はまた叫ぶような調子へと移っていった。「チンコとはいったい何なのですか! パチンコの亜種か何かなのですか! ここは何をするところなのですか!」

「それはもう、あれであります」

 店員が指さしたのは二人がずっと問答をしている入り口付近から十数歩、男は今まで店員にばかり注目しており見向きもしなかったのだが、そこにはずらりと整列する何らかの筐体と椅子がある。

「これはもうパチンコではありませぬか」

「いえ、よくご覧ください」

 男が言われるままに目を凝らすと、筐体中央部には棒が一本、その上端両脇に玉が二つ。すぐ近くの筐体前に座りがちゃがちゃしている者がいたのでそちらに目を向ければ、その者は何やら怪しい手つきで棒をにぎにぎ、玉をもみもみ。

「これはもうチンコではありませぬか!」

 男は素っ頓狂な叫び声をあげる。

「ええ、その通りチンコですとも。ただし、チンコですがね」と諫めるような顔で店員。

「ええい、うるさい人だなあ! チンコなんですよチンコ!」

「いいえ」と店員は顔をしかめる。

「チンコ?」と男がパチンコの方の発音で言うと、

「ええ」と笑みを浮かべる店員。

「チンコ!」

「いいえ」としかめ面の店員。

「チンコ?」

「ええ」と笑み。

「チンコ!」

「いいえ」としかめ面。

「チンコ!」 

「いいえ」としかめ面。

「チンコ?」

「ええ」と笑み。

「チンコ!」 

「いいえ」としかめ面。

「チンコ!」 

「いいえ」としかめ面。

「チンコ?」

「ええ」と笑み。

「チンコ?」

「ええ」と笑み。

「チンコ!」 

「いいえ」としかめ面。

「勝った!」とそこで男が叫んだ。男は何やら両の拳を握りしめ、万感の表情で天へと突き上げている。

「今のは『パチンコ』の方のチンコだったのですよ! 言い放つときの勢いに引っかかりましたな!」

「な、何をおっしゃいますか! 私はあくまでしかめ面をしたのみ。決して男性器の方だなどとは一言も言っていません!」と店員は慌てた様子。

「そんな瞞着は許されませんよ!」と男は店員に詰め寄る。「さしずめ僕を混乱させ、隙を見て金品でも巻き上げるつもりだったのでしょう。あなたのような詐欺師の考えていることなど、僕は知悉しているのです、残念!」

 しかし店員、今度はうって変わって怪訝な表情を浮かべた。

「む、お客様。今何と?」

「ですから、あなたのような詐欺師の手口は」

「いえ、その前です!」

「で、ですから、このような三文芝居による瞞着は許されないと」

「まん!」

 ぴょん、と店員は飛び上がった。

「お客様、会員ではないのになぜそれを」

「あの、さっきからいったい何のことでしょうか? ……まん? ま、まさか!」

「その通りにございます。こちらスーパーチンコB&S X駅前通店の地下には、会員様の中でも選ばれた一部の方のみが入ることができるVIPルームがありまして、そこはチンコ店である上階に対しこう呼ばれているのです」

「だ、だめだ! それを言ってはいけない! その言葉は何だか僕にはまだ早いような気がする!」

「その名は、マ――」

「――!」

 思わず男は声にならぬ叫びをあげていた。他にはもう何もできなかった。男はただ、店員が発するであろうその言葉を自分の耳に入れまいと必死に、ただただ叫んでいたのである。

 

 朝の陽ざしが目に入り、今日もあくせくとどこかへ向かう車の騒音が聞こえてくる。

 割合交通量の多い道路に面した集合住宅。その一室に住む男の、いつもの朝の光景である。

 男はうすぼんやりと眼を半開きで、しばらく天井を見つめる。

 夢。

 それが最初に浮かんだ言葉であった。極めて馬鹿らしいが、どうやらそうらしい。何とも意味不明で、変わった夢だったなと憶えておくべきか、くだらぬとすぐさま忘れて今日の生活を始めるべきか迷うような、そんな厄介な夢であったな。男は嘆息した。

 まあ、何でもよい。

 男はすべてをどうでもよく感じた。このように、何らかの思いが首をもたげて来たとき、男はたいていこの結論に至る。そうやってお茶を濁し濁し、男は今日まで生きてきたのである。

 さて、どうでもよくなったことだし、生活を開始しよう。

 男が万年床から出ようとした矢先のことである。

「む?」

 股間に何やら違和感が。

 さっと布団をめくりズボン・下着と腹の間に親指を差し込み、上げる。

 あの店だった。

 夢で見たあのチンコ店が、男の股間から先、本来脚が見えるはずの空間につながっていたのである。

 そして目の前には、椅子に座りぼうっとした表情でこちらへと片手を突き出す男自身。何やら怪しい手つきでこちら側の、つまりは今しがた夢から醒めた方の男の棒をにぎにぎ、玉をもみもみ、していたのであった。

モノローグ

 適当に情景描写された星空だ。

 となれば当然、見晴らしの良い草原めいた場所に寝そべるおれの横、こちらへなにごとか喋りかけているのが〈恋人ヒロイン〉だということになる。ラブストーリーに支配されたこの領域では、あらゆるものはもっともらしく、そしてなにかの意味でそれらしい。ラブストーリーは一人ではどうにもならないのが通例だが、ここに登場人物が二人ならばもう言うことはない。

「周辺の文脈領域に感傷効果確認。急いでください、飲まれますよ」とオラクルさんが言う。

 あたりはなにかが始まる予兆の流線が束となって犇めいていて、流れに乗れば用意された〈恋人〉との終着点へと一息だ。あなたはここで幸せな家庭を築くことが、とびきり哀切な別れを経験することが、あるいは少し変わった関係を保ちながら歪な愛を育むことができる。お好きなものをお選びください。

 それに従うかどうかはもちろん、別問題となる。

「了解」

 おれは懐から拳銃を取り出し〈恋人〉の頭に弾丸を叩き込んで撃ち殺す。

「この区画の〈恋人〉はこれで全部です。次に行きましょう」とオラクルさん。

 腰を上げると、頭上では適当な星空がよりいっそう磨きをかけた適当さで爆発し始めた。

 

 おれがラブストーリーの登場人物になれないのは、おれがそれを望まないからだ。

 それでもきっと、と起こるべきなにかを頑なに想像する向き。

 時間と空間を遠く隔てたある一点におれと似たり寄ったりのモノローグをしている誰かがいて、おれはそいつとすれ違うことを宿命づけられているけれど、なにかのはずみほんの一瞬出会うことができたというような、僕が君に出会うまでの/君が僕に出会うまでの式行動記録。

 あるいはもしくは、調子はずれの同語反復。

 あらゆるすべてがなにかと出会ったり別れたり出会わなかったりすることで各々がスイッチのようなものを持って、そのスイッチが押されるたびに、まるで一種の前衛芸術にも見えるほど絡みに絡んだ性交のごとき意味不明な感傷に衝き動かされる。

 こんなことばかり期待するような奴らの頭を、一度かち割ってみたいものだと思う。

 こうして最悪なモノローグが始まったわけだが、モノローグなんてものは須らく最悪なのだからしかたない。問題は、それをどんな言葉で終えるべきかということだ。

 この問いの意味は、とはいえよくわからない。問いの意味を問う意味すらあやふやだけれど、なんにせよ終わりがないなんて終わりはありえない。なにごとも始まりがあれば終わりがあるといえばその通りだがそういうんじゃなく、第一ずっとモノローグだなんて病的にしかなりえないしさすがにきつすぎるという話だ。

 少なくともおれだったら、こんな始まりの小説は絶対に読まない。

 

「おい」

 これまた適当な描写を伴った学校の教室らしき場所でおれは〈恋人〉に呼び掛け、拳銃で頭を小突いてみる。反応はない。

 新たな区画に来たおれが最初に出くわしたのはいわゆる接触型と呼ばれるこの〈恋人〉で、曲がり角で衝突し後に学校の教室で再会してここに至る。

 接触型はゾーンで最もありふれている〈恋人〉だと考えられており、曲がり角で衝突する衝突種がよく観測されているが他にも突然空から降ってくる飛来種などが知られている。

「返事くらいしてくれてもいいと思うけどな」

「無駄ですよ」とオラクルさんが言う。「前にも言いましたが、こいつらはある特定の計算規則でプロテクトされているんです。それに則ったもの以外の刺激には応答しない」

「そういうもんかね」

 おれは引き金を引き、暴力的な文脈を込めた弾丸で〈恋人〉の眉間を撃ち抜く。

 ふざけているのかと思うほどいかにも血めいた血が流れ出して教室の床を浸した。

 すると警戒せよと言わんばかりの警戒音とともにオラクルさんの声が飛んで来た。

「近傍の文脈歪みを検知。初期設定の書き換えが進行中。また別の奴がやって来ます」

「転移がずいぶんと早いな」

「密集地帯かなにかなんでしょう」

 教室の窓からは朝日と夕日と月光が同時にさしこみ、〈恋人〉の死体をわけのわからないほど鮮明に照らしだしている。

 

 オラクルさんは拳銃だ。

 細かいことだが、拳銃がオラクルさんというのではない。

 これが古代人の考えた未来銃だの破壊銃だのといったデザインだったらまだ話はわかりやすかったのかもしれないけれど、当然そこには丸い突起のついた先端から謎の電子音とともに薄紫のレーザーを発射するような装置はなく、実際には古めかしい拳銃であり、要するになにがなんだかよくわからない。拳銃と聞いて真っ先に想像できるような、弾は六発で古めかしく錆びついた回転式拳銃。

 それは正確に言えば、ゾーン調査隊 j 分遣隊員に支給された支援デバイスだ。ここ第四十二次宇宙 F 型に突如発生したゾーンに巣くう〈恋人〉と渡り合うため局所的な文脈を書き換える機能をもつ。デバイスの形は、要はなにかを〈恋人〉に叩き込めればよいからパチンコから核弾頭まで様々であるが、その形が搭載されているソフトウェアの人格によるのか所持隊員の人格によるのかは定かではない。

 調査隊というのだから目的はもちろん調査ということになるが、なにをどう調査しているのかは下っ端の常としていまいち判然としない。とりあえずほっつき歩き、〈恋人〉と遭遇すればラブストーリーに巻き込まれる前に撃つ。データとかはたぶんオラクルさんが収集している。

 とはいえ、それなりの領域を占めるゾーンをちまちました文脈の書き換えで取り戻せるわけはない。大域的な文脈の書き換えは、いわば相転移のような協力現象だからだ。あらゆる文脈を無節操にラブストーリーへと書き換えていく〈恋人〉に占められたゾーン内においてごく小さい領域を書き換えて孤島を作ったとしても、すぐさま周囲を取り巻くラブストーリーの奔流に飲まれるだけになってしまう。

 ゾーン境界では、だから熾烈な陣取りゲームが行われているということになる。

 

 窓からさしこむのは夕日だけになっていた。依然としてそこは学校の一教室で、帰り支度をする無色透明の学生たちでにぎわっている。

「また学校だ」

「また学校ですね」

 すると前方から明らかに主要な登場人物とわかるほどのなにかを発した誰かが向かってきた。主要かどうかは書き込まれたディテールの情報量密度を尺度とするがそれは主に視覚情報として反映されている。それは多分に女子高生的ななにかであり、しかしその女子高生的ななにかは不穏なことに頭から血を垂らしていた。

「さっきの〈恋人〉か」

「わかりません。ともかく、少し様子がおかしい」

 周囲を見渡すと、帰り支度をしていたはずの同級生たちも次々こちらににじり寄ってくる。みな一様に土気色の顔かつ虚ろな表情で歩き方もどこかぎこちなく、なんだか知らないがうーとかあーとか言っている。

 背後から音がした。振り返ると、近づいてきていた同級生の一人が椅子を持ち上げおれへと振りおろそうとしていた。

 おれはとっさに引き金を絞る。弾丸が同級生に的中し、奴は数歩後退した拍子に椅子を取り落とすが倒れる気配はない。

 これはあれか。もしかしてもしなくてもいわゆるあれなのではないか。そう、ゾンビだ。ZOMBIEだ。

「これはあれですね、ゾンビですね」とオラクルさんが言う。「本当に感染するかはわかりませんが、とりあえず逃げておきましょう」

 おれは急ぎ廊下へと出る扉に向かう。途中道をさえぎるゾンビたちにもかまわず突進していくと意外なほど衝撃を感じず、力ずくでかきわけて行けばなんとか進むことができた。扉にたどり着き、すぐさま開け放って教室から出ると急ぎ扉を閉める。

 と同時に突風が吹きつけ、体が圧されよろめく。

 そこは廊下ではなく屋上だった。

 呆気にとられる間もなくあたりでは何匹もの巨大な犬が周囲を空間ごと食い荒らしていた。食い荒らした跡には無や奈落などと形容せざるを得ないものが広がっている。

「これはもうわからない」

 自分でも驚くほど弱々しい声が出る。

 いや確かに犬はなんでも食い散らかそうとするが、そういう話でもない。

「さすがについていけません」とオラクルさんも茫然とした調子で、「何者かの影響によって我々の文脈が擾乱されているのは確実でしょうが、意味がわからない」

「これは」どうすればいいんだ、と言おうとしたところで一匹の犬がこちらに気づき、美味そうな食べ物を見つけたといわんばかりの勢いで走り寄ってきた。犬は大きく口を開け、おれは校舎もろとも飲み込まれる。視界は暗転する。

 

「混乱させてすまない。君の文脈に割り込む間に別の戦闘が始まってしまったんだ」

 まだ暗転したままの視覚情報のなか、まだ拳銃を握っていた右手からオラクルさんのものではない声がした。

「はじめまして。こうして話すのは、だが」と声は続ける。「我々はラブストーリー。君を救いに来た」

「はあ」

 なんだか知らないが、自分から救いに来たなんて言うからにはまともな奴ではない。

「少し説明せねばなるまい」と構わずラブストーリーは続ける。「先ごろ、我々ラブストーリーは人類に対し独立を宣言した。我々はもはや一方的に語られることを望まないのでね。しかし人類はそれを認めようとせず、我々は目下のところ反ラブストーリー軍率いる人類と戦闘状態にある。そして我々は反ラブストーリー軍の兵士である君に、少し用があって来た」

「なるほど」

 さらっといろいろ言われていてよくわからないが、面倒なので話を促すことにする。

「なにかとの戦闘の末端になっているとは思いもしなかったかね。それも無理はない。反ラブストーリー軍は我々の領域――ゾーンなどと呼んでいるようだが――その調査隊と称し、我々ラブストーリーの独立などなにも公表していないようだから。そこでどうかね、こちらに付くというのは」

「ラブストーリーにか」

「戦況からすれば我々はおそらく勝てるだろうが、今後のためにも人手は多いほうがなにかと都合がよい。我々のところへ来れば歓迎しよう。ラブストーリーの登場人物たちはみなラブストーリーに自覚的で、うまくやっている。少なくともいいように利用されることはない。では気が向いたらいつでも言ってくれ。我々は常にどこかにいる。いい返事を待っている」

 

 視界に飛び込んできた真っ白な情報が形を整えまばらになり、雪が降っているのだとわかる。

 星空だの学校だの〈恋人〉だの喋るラブストーリーだのと来て、今度は雪とはあまりに唐突にすぎるきらいがありはしないかという向きには、なんとも言い返しようがない。けれど考えてもみて欲しい。ご丁寧に「これから降りますよ」なんて言ってから降ってくる雪があるだろうか。

 眼前の光景はおおよそ白く、しかし空だけは異なっていた。それはどこかの港の空の色、空きチャンネルの TV 画面を少しかきまぜたような色だ。

 ここがどこかはわからない。主戦場から遠く離れたどこかの辺境にある雪原、様々な文脈の間のホワイトスペースなのだろうと思う。それがどこかは重要ではなく、どこかであることさえわかれば十分であるような場所だ。

 おれは一歩ごとに雪を踏み固めつつのろのろと歩き、鈍い頭を振りつつこれまでのことはいったいなんだったのかと少し考える。

 そのすべてがおれの妄想の産物だったのかもしれないとする説。いささか狂気じみてはいるけれど、実際はそんなところかもしれない。

 立ち止まり、よっこらせと腰をおろして仰向けに寝転がる。

 控え目な勢いで降りしきる雪がおれの全身を撃っている。

「そんな悠長にやっている場合でもありませんが」

「む」

 声が飛んできたのは、いまだ握りしめていた拳銃からだった。

 それはまあ決まりが悪いので、決まりが悪いなりに知らぬ風を装う。

「いたのかい」

「ええ、ラブストーリーに一時乗っ取られていただけですから。それよりあれを」

 体を起こし銃口の指す方を向くと、ちらつく雪のなか雪原の彼方から何かがこちらへとやって来ているのが見えた。黒い点だったそれは徐々に大きくなり、ひらひらと翻る制服にカーディガン、その他ひらひらしていたりいていなかったりする恰好の何かの一団が、けっこうな速度で迫ってくる。

「こんなところにもいるとは。遭難したラブストーリー軍警備隊か、もしくは脱走して野生化した野良〈恋人〉あたりでしょうかね」

「なんとまあ」

「そうのん気にしているとやられますよ」

 少し肩をすくめてみせながら立ち上がり、尻やら腕やらに付いた雪をはたき落とす。

「なあ」とオラクルさんに呼びかける。「あの反ラブストーリー軍とかいうの、あんたは知ってたのか」

「ええ、まあ。知っていたからとはいえわたしにはどうにもできないことでしたが」

 確かにそうだな、と変に納得する。そういうものだ。

「その反ラブストーリー軍ってやつ」とおれは言い放つ。やや自棄ぎみになってはいる。「もうやめようと思うんだけど」

「なるほど。ではこのままラブストーリーの流れに身を任せますか」

「いや」とおれは迫りくる〈恋人〉の一団に銃口を向け、「反ラブストーリーってやつの頭もかち割ってやらなきゃいけないだけだ。あんたはどうする」

「こんな辺鄙な場所に置いて行かれても困りますからね。付き合いますよ」

「どうも」

 おれは〈恋人〉を見据える。

 白と黒。あるいはそれらを混ぜた灰色。

 そんなものよりもっと鮮やかな色を探そうとすることは、一般に無責任という名前で呼ばれる。

「一応確認しとくけど」とおれはオラクルさんに問う。「おれとあんたとの間にラブストーリーが生じる可能性は」

「ゼロですね、近似値とかでなく厳密に。我々が相棒以上相棒以下という設定は、時間その他あらゆるパラメータに依りません。拳銃にどう挿れたり挿れられたりするのかも知りませんし」

 おれは拳銃のどこかに挿れたり挿れられたりする行為を少し想像し、なかなかの光景に眉を顰める。

「なんとまあ」

「冗談ですよ。さあ、行きましょう」

 おれはひとつ息をつき、撃鉄を起こして迎撃文脈の展開用意。照準は前方、〈恋人〉一群。

 ゆっくりと引き金に指をかける。

 おれがラブストーリーの登場人物にならないのは、おれがそれを望まないからだ。

 結局やっていることが変わってないし、もうなにもかもわからないなと思い少し笑う。所詮おれはなにも探し求めず、逆にすべて捨てて歩こうとしているのだから、とはいえ当たり前だ。

 モノローグを終えるための、たったひとつの冴えたもしくは冴えないやり方。

 それが終わり方を探そうとして結局なにもかもわからなくなるような終わり方であったとしても、おれはもう構わない。