α-ケンタウリ星通信

α-ケンタウリ星からお送りしています。

『BEATLESS』(長谷敏司)

         f:id:decagon-bio05:20161127174941j:plain

 

 その笑顔を僕は信じる。君に魂がなかったとしても――。

 人型のロボットhumanoid Interface Elements、通称hIEが普及し人間の生活の大部分をhIEが支えている世界。高校生の遠藤アラトはある日"レイシア"と名乗る一体のhIEと出会い、その言葉を信じてオーナーになる。しかしレイシアは、そのあまりに強大な性能ゆえ厳重に管理されている超高度AIが産み出した≪人類未到産物≫(レッドボックス)だった。レイシアとともに暮らし、人間を超える知能の存在との関係を考えるようになったアラトの前に、レイシア同様≪人類未到産物≫であるアンドロイドたちが現れ、レイシアと争い始め、人類を脅かす大災害へと発展していく。その果てに、人類がhIEとの関係に見たものとは?すべては、少年の選択に委ねられた。

 

 今回は趣向を変え、自分であらすじを書いてみました。この『BEATLESS』ですが、人と、人にとてもよく似たモノとの新たな関係性を探る、素晴らしい小説でした。設定はありふれているし、話の展開もいわゆるライトノベルっぽさが色濃いですが、このような、科学技術で変わっていく人の世界を描く小説、これこそをSFというのだな、と僕は思いました。

 この小説のラストは、ある側からみればhIEに人間が支配されることを許したディストピアとも言えるし、一方でhIEと人間が共生のため歩み寄ったハッピーエンドだとも言えます。どちらだと考えるか、それはこの小説の主人公アラトのような人かどうかによるのかもしれません。

 さて、果たして僕らはそのどちらでしょうか?

 僕は、そしてあなたは、魂のない少女の笑顔を信じることができるでしょうか?

 などなど、考えさせられますね。

 

 

 


BEATLESS (livetune) - Dreaming Shout feat. NIRGILIS

(アニメ化したらレイシアがモデルの仕事で東京を大規模アナログハックする場面で流れるとすごいよさそう……)

 

『未來のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン)

f:id:decagon-bio05:20161120181054j:plain

 『屍者の帝国』に出てくる「ハダリー」の元ネタがこれらしいので読みました。まず歴史的仮名遣いなので少し読みづらい。また、言葉自体も古めかしく、すぐには意味のわからないものが多く、それもきつい。しかし、それは逆に、この小説がとてつもなく昔に、人造人間(現代ではアンドロイドと呼ばれるのが普通ですが)と人間の関係性について描いていたということを示してもいます。1886年に書かれたというから、驚きです(よく考えると、『屍者の帝国』の舞台は19世紀末であったから、それはそうか)。

 この小説のすごいのは、異常なくらい緻密な人造人間ハダリーの構造の説明で、一部読み飛ばしてしまいましたが、著者は機械工作が趣味だったようです。

 また、エジソンのキャラもよかったです。科学に従事しているが、盲信はせず、科学に縛られてはならないことがあることをわかっているという感じの人物(実際のエジソンがどんなかは知りませんが)。

 最終的に主人公がエジソンのつくったアンドロイドを愛し、二人は幸せに暮らしましたとさ……で終わらず、意外にも(?)バッドエンドだったのにも驚きましたね。なぜこのように物語を終わらせることにしたんでしょうか?

 アンドロイドと愛し合うというと、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、あるいは『ブレードランナー』を思い出します。まさにこの小説は、これらアンドロイド小説の原点だと言えるでしょう。

『競売ナンバー49の叫び』(トマス・ピンチョン)

f:id:decagon-bio05:20160924004156j:plain

 すさまじい小説だった。これを読んだのは少し前のことで、話の内容に関する記憶はやや薄れかけているのだけど、それでも読んでいるとき、読み終わったときの「なんなんだこれは」という強い印象はまだ残っている。

 

 ある日若妻(なんかエロい!)のエディパ・マースは、昔の恋人だった大富豪が死んだこと、その莫大な遺産を託されたことを知り、何かに導かれるようにして調査に乗り出す……という話。この小説のすごいところは、そして前述の「なんなんだこれは」と思わせる要因は、これでもかと登場してくるたくさんの意味深な暗喩たちだ。それは元役者の弁護士であったり、エディパが赴くあらゆるところに現れる謎に満ちた文字列や、ラッパの記号、悲惨な物語の演劇、そして”トリステロ”だったりする。これらは元恋人の正体について何かしらの意味を指し示しているようでいてとてももっともらしいのだが、肝心の意味するところはわからず、次々にエディパと読者を翻弄する。

 最終的には、それらの謎は解明されることなく、謎のまま放置されるのだが、これは単に著者が回収しきれなくなったということではないだろう。解説なども参照するに、これは排中律の問題だといえる。あるものにAという意味がある/ないという、二つの状態の存在しか認めないアメリカ合衆国的な考え方に、ピンチョンは疑問を投げかけているのかもしれない、ということだ。確かにアメリカ社会の裏を描いていると言われると納得できる。しかし、惜しむらくは(?)僕ら日本人には身近な話題ではないため、頭では納得できても、ピンときづらいということだ(もちろんそれによって本書が楽しめないわけではない)。

 また、ピンチョンの膨大な知識量にも驚かされる。「知のごった煮」というとメルヴィルの『白鯨』が想起されるが、あれは鯨に関するものがほとんどだった。だが、ピンチョンの小説には、物理学からいわゆるオタク・カルチャーまで、様々な知識が入り乱れている、真の「ごった煮」だ。僕個人こういう作風はすごい好みで、彼の小説をもっと読もうと思う。余談だが、最近ノーベル文学賞が発表されましたね。トマス・ピンチョンもよく候補になっていると聞くけどけど、アメリカの何とか賞を拒否し、取材に押し掛ける報道陣を嫌がりバスに飛び乗って山に逃げたという逸話(真偽のほどは定かでない)のある彼は、きっと拒否してしまうような気もしますね。

 

 最後になりますが、お久しぶりです。また一か月以上空いてしまった。少し思うところがあって、全記事の題名を変えました(そのときごちゃごちゃしてしまって順番が今までと変わってしまいました)。今までは(キャッチコピーもどき)―『書名』だったけど(わかる人にはわかると思うが、冬木糸一氏の「基本読書」の真似です)、めんどくさくなったので今後から『書名』(著者名)にします。よろしく。

『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(西尾維新)

f:id:decagon-bio05:20160831003943j:plain

 タイトルに特に他意はない。他意のないタイトルならばそれはタイトルというより「他意取る」ではないか、否タイトルから他意を取ったのは僕だからタイトル側からしてみれば「他意取られている」ではないかという向きがあるのももっともだが、とりあえずはこれ以上広がらなさそうな言葉遊びの真似事は打ち切って、感想を書いていこうと思う。

 

 お前はどこのお偉い書評家だという調子ではあるが、案外真面目にミステリしてたな、というのが読後の率直な感想で、というのもやはり読む前に「西尾維新だしなあ…」と思ってしまうことがある。しかし読んでみると、絶海の孤島、集められた人々、なにやら確執がありそうな登場人物たち、などなどいかにもミステリ然としたお膳立てに、死体の再利用(リサイクル)というトリック(申し遅れたが本記事もネタバレ有)ときた。言ってしまえばこれはたいして斬新なものではなくて、有名どころだとクイーンの『Xの悲劇』なんかはこれを使っている。かといって使い古されたという感じもせず、作者らしいクセのあるキャラクターとその語り口調に翻弄され、なかなか楽しめた。

 

 年を取ったせいか、シリーズものを読もうとするとすぐ疲れてしまい、あまり手を出さなくなってしまった。本当は、「ぼく」が戯言戯言うるさくなるのには何か理由があるのだろうかとか、玖渚に「いーちゃん」と呼ばれる「ぼく」の本名は明かされるのだろうかとか、哀川潤はこれからどう活躍するのかなど気になることはあるが、果たして続編に手を出すかどうか。森博嗣の小説なんかも同じ状態になっている。そういえば西尾維新森博嗣が大好きだとか……すると本作の「絶海の孤島」「天才」「死体再利用トリック」といったのは『すべてがFになる』と通ずるものがあるな、などとも思ったり。これまで「案外ミステリしてる」などと言ってきたがよく考えればこの小説はメフィスト賞受賞した作者のデビュー作だ。となれば初代メフィスト賞で自分の好きな小説を意識したパロディ的側面もあるのかもしれない。ちなみに、本記事にはこの作品のアニメ化に便乗してアクセス数を増やそうという側面がある。他意はありました。

 

 余談だけど、メフィスト賞ってヤバイよね。

『文学会議』(セサル・アイラ)

f:id:decagon-bio05:20160813002321j:plain

  ラテンアメリカの小説家は、どうやらヤバイのが多いらしい。例えば、ボルヘス……くらいしか今のところ思いつかないのだが、これだけでも十分にヤバイだろう。それに加えてこのセサル・アイラである。

 『文学会議』は、同名の中編と『試練』という中編を収めているのだが、そのたった二つで、僕にとっての彼(はじめ彼か彼女かすらわからなかったのだが)の評価が「ヤバイ」となるには十分であった。

 

 さて、『文学会議』である。小説家でマッドサイエンティストで世界征服を企み冒頭でトンでもない財宝を見つけた「私」(そしてどうやらこの「私」は本当に「私」=セサル・アイラらしい、この時点でだいぶお腹いっぱいだ)が、世界征服のため完璧な人物のクローンを作ろうと試みて…という話なのだが、セサル・アイラの特徴である、無駄とも思える冗長な表現の嵐に、これをあらすじとしていいか少しわからない。「私」は完璧な人物としてカルロス・フエンテス(実在するこれまたラテンアメリカの小説家)を選び、彼のDNA採取のため文学会議に向かう。が、当然のごとく文学会議の様子は描かれない(そもそも「私」は行っていない)と、タイトルの意味をなきものにしようとするのはもはや清々しくも感じる。途中DNA採取に用いた虫への愛着脈々と何行にも渡って書いたり、結局採取したのはカルロス・フエンテスの絹のネクタイの細胞で、クローンを作成したら超巨大イモムシが出現!さあ大変街は大混乱に!という展開(怪獣映画…?)は、果たして笑わせにきてるのかよくわからなかったので、とりあえず笑っておいた。

 そんなこんなでカタストロフにスペクタクルがややこしく続き、なんやかんやで「私」は世界を救う。会議は一切出てこなかったが、怪奇な文学で、さらに文学というのを懐疑してしまう。

 

 「ねえ、やらない?」と、太った少女であるらしい「私」が二人のパンク少女に誘われる場面で始まる『試練』は、なにやら百合百合しい雰囲気かと思いきや、これまたぶっ飛んでいる。太少女(ひどい名前だがこれしか思いつかないので許してほしい)とパンク少女たちは場所を変え問答を始める。戸惑いながらもパンク少女のことを理解しようとする太少女、それにいら立つパンク少女。太少女の努めて理性的であろうとするところ、それが彼女らのお気に召さず、彼女らは理性からの解放を重視する。

 なるほど確かに理性的でありすぎると視野が狭くなるというのはあるかもしれない、などと少女たちの掛け合いを楽しんでいると、唐突に彼女たちはスーパーマーケットを襲撃し始めて僕は数十ページくらい読み飛ばしたかなと思ってしまった。そして炎に包まれるスーパーマーケット……三人の少女たちは夜の闇へと消えていく……。これはいったいどういう了見なのだろうか。スーパーマーケットを襲撃するにいたった過程がまるで理解不能。もしかするとスーパーマーケットは理性のメタファーで、先の掛け合いから理性から解放された少女を描いているのかとも考えたが、そもそもスーパーマーケットが理性とどう結びつくのかという問題がある。理性を売るスーパーマーケットなど僕は見たことがないし、文字が似たものでせいぜいパセリくらいしか売っていないだろう。

 訳者あとがきにある、「ねえ、やらない?」を表すスペイン語に関しての話はなかなかおもしろかった。大学でスペイン語をとった僕に、よりスペイン語を勉強する気にさせるまでには至らなかったが。

 

 よくわからない小説に感化されたせいかよくわからない感想になってしまった。セサル・アイラ、非常にぶっ飛んでて謎めいた気になる小説家である。

 

 

 

『ハローサマー、グッドバイ』(マイクル・コーニイ)

f:id:decagon-bio05:20160727205406j:plain

 お久しぶり。さて今回はマイクル・コーニイの『ハローサマー、グッドバイ』を読んだ感想です。

 

 どうやら青春SFの傑作として名高いらしいこの作品、正直言ってしまうと途中までは非常に退屈だった。主人公ドローブ少年のとくに面白くはない恋愛模様がただひたすらに展開されていって、僕は、早く何か起れ、陰謀に巻き込まれろ、そんでもって世界が破滅の危機に瀕しそれを救ってくれとひたすら思いながら読み進めた。まあそこはさすがに傑作と呼ばれるだけあり、後半になると話の裏に隠れていたものの輪郭がだんだんはっきりしてきて、しかも僕の思ったように主人公が陰謀に巻き込まれ、世界は破滅の危機に 瀕してきたのでおもしろく、後が気になって仕方がないくらいだった。(やはりこれってSFの王道展開!)ただ主人公は世界を救いはしなかったけれど。よく企業の宣伝では「ラストのどんでん返し」というまるで推理小説みたいな文句が使われているが、まさにこれで、前半の何でもないような描写がラストに密接に関わっている。はっきりとした終わり方をしないのも良い。とはいっても、この小説のメインとなっている謎は、それまでの描写から容易に想像はできるので変にモヤモヤはせず、良い読後感だった。

 それにしても、ここまでまっとうな、物語然とした夏はないと思う。いや、物語なのだから当然なのだけれども、それにしてもというくらいだ。続編『パラークシの記憶』がこの小説の時代からだいぶ時間が経過しているらしいのは、もしかすると、こんなにまっとうすぎる夏を描いてしまったために、この世界の謎の続きを見せるには不向きだと作者が判断したからかもしれないなあ、などとも思う。とりあえず続編気になるので読みましょうね、あとは作者のもう一つの人気作品らしい『ブロントメク!』も。

 

 実は前々記事の『世界の涯ての夏』、前記事の『逆行の夏』に本記事と、タイトルに「夏」が入る小説を読もうキャンペーンを一人で行っていました。が、案外おもしろそうな小説が多くてきりがないのと、自分の遅読っぷりを鑑みるにこんなことやってる間に夏が終わってしまうと思ったので、いったんこれで終了します。みなさんもぜひ自分でやってみては?

 それではまた。